名古屋大学 哲学研究室
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Interview

「正義とは何か」を問い続けて――史さんに聞く

在学生インタビュー 史 暁蕓さん(大学院人文学研究科 博士前期課程2年)

名古屋大学大学院人文学研究科哲学研究室・博士前期課程2年の史さんは、中国出身で高校から日本で学んできました。3年次編入で名古屋大学文学部に入学して西洋古典学を専攻し、大学院進学の際に哲学研究室に移りました。現在は古代ギリシア哲学、とりわけプラトンを中心に研究しています。

大学入学時から哲学を専攻していたわけではなく、国際関係を学ぶなかで生まれた「正義とは何か」という問いを追究するうちに、プラトン、ホメロス、古代ギリシア語へと関心を深めていきました。

今回は、哲学との出会いから現在の研究、大学院での研究生活、留学や今後の展望について話を伺いました。

ローマのコロッセオの内部を背に、カメラに向かう史さん
ローマのコロッセオにて

「正義とは何か」という問いが、哲学への入り口になった

――まず、哲学を専門的に研究するようになった経緯から教えてください。

史さん もともと子どもの頃から、一つのことについて深く考えたり、物事の背景にある理由を考えたりすることが好きだったので、大学に入学した時点ですでに哲学そのものには関心を持っていました。ただ、その頃は哲学を自分の専門にしようとは考えておらず、哲学を専攻した場合に将来の職業選択が狭くなるのではないか、という不安もあったため、最初はむしろ観光学など、もう少し別の分野を学ぼうと考えていました。

ところが、観光について考えていくと、観光という現象は単に人がある場所を訪れるということだけではなく、政治や国際関係にも大きく左右されることに気づきました。たとえば国と国との関係が悪化すれば、人の移動や観光にも直接的な影響が及びます。そうした問題を考えるうちに、次第に政治や国際関係そのものに関心を持つようになり、東京の大学で国際関係を中心に勉強するようになりました。

――国際関係を学んだことが、その後の哲学研究につながっていったのですね。

史さん そうですね。国際関係を勉強していると、それぞれの国にはそれぞれの立場があり、それぞれが自分たちなりの「正義」を主張しているということが見えてきます。しかし、もし正義がそれぞれの立場に応じて異なるだけだとすれば、そもそも「正義とは何か」という問いに対して、どのように答えればよいのだろうかという疑問が生じました。各国がそれぞれ異なる正義を持つことを認めるだけでは、自分が知りたい問題に十分な答えが与えられないように感じたんです。

その頃からプラトンの『国家』を読むようになり、同時にホメロスの『イリアス』などにも触れるようになったことで、次第に古代ギリシアの文学や哲学そのものに強く惹かれていきました。現代の政治理論にももちろん関心はありましたが、それよりもさらに根本的なところから「正義とは何なのか」を考えてみたいと思うようになり、その問いが古代哲学へと進むきっかけになりました。

――最初に特に強く惹かれた哲学者が、プラトンだったのでしょうか。

史さん はい。研究対象については、実はそれほど迷うことはありませんでした。プラトンを読んだときに、少し大げさに言えば「一目惚れ」に近いような感覚があり、非常に強い共感を覚えて、「この人の思想を研究したい」と思うようになりました。とりわけ印象に残ったのが『国家』で、国際関係を勉強していた頃から自分が抱えていた「異なる立場を超えて成り立つ正義はあるのか」という問いと、プラトンが追究している問題が重なって見えたんです。

また、プラトンの場合には、最初から完成した答えが提示されるのではなく、自分が抱いている疑問を出発点として、他者との対話を通じて問いを少しずつ深め、答えを探していきます。そうした哲学のあり方にも大きな魅力を感じ、自分が以前から考えていた問題を、プラトンの思想を通してさらに掘り下げていけるのではないかと思うようになりました。

古代ギリシア語を学び、ホメロスの研究へ

――古代ギリシアに関心を持つようになると、原典を読むために古代ギリシア語を学ぶ必要も出てきますね。

史さん 古代ギリシア語の勉強は大学1年生の頃から始めました。当初は大学の正規の授業というよりも、独学や学外での学習が中心で、ある程度基礎を身につけた後には、原典講読の講座などにも参加しました。その後、名古屋大学の西洋古典学に編入して本格的に研究するようになりましたが、編入後には、それまでにある程度勉強していた古代ギリシア語についても、改めて初級から履修しました。ラテン語についても以前から学んでいましたが、名古屋大学に来てからもう一度勉強し直しています。

――すでに学んでいた言語を、あえて基礎から学び直したのですね。

史さん そうですね。古代の文献を研究する以上、やはり原典を正確に読むための基礎は非常に重要なので、もう一度きちんと勉強し直したいと思いました。

――古代ギリシア語は長く勉強されていますが、今でも学ぶことそのものに楽しさを感じますか。

史さん はい、とても楽しいです。私にとって古代ギリシア語には、少し「魔力」のようなものがあって、読んでいると自然に楽しくなる感覚があります。

現代の言語を学ぶときには、当然ながらその言語を通して現在の社会や現在の情報に触れることが多くなりますが、古代の言語を読む場合には、現在とは異なる時代の人たちが何を考えていたのかという世界に入ることになります。たとえば古代ギリシア語のテキストを読んでいると、「美徳とは何か」「知識とは何か」といった問いそのものが、読むべき文章の中心に置かれています。そうした文章に向き合っていると、日常生活のなかで感じている焦りや忙しさから少し距離を取り、現在とは異なる時間のなかで物事を考えることができるように感じます。

アテネのアクロポリスで、パルテノン神殿を背にカメラに向かう史さん
オスロ留学中に訪れたアテネのパルテノン神殿にて

――語学そのものが目的なのではなく、その言語を通して思想に近づくということですね。

史さん そうですね。言語はあくまで思想に触れるための道具ですが、その道具を通して初めて見えてくるものがあります。翻訳を読むことにももちろん意味がありますが、原典を読めるようになると、ある言葉がどのような文脈で使われ、その言葉がどのようなニュアンスを持っているのかを、より直接的に考えることができます。そのため私は語学の学習にも力を入れていますし、語学と哲学の研究は自分のなかでは切り離されたものではなく、相互に支え合うものだと考えています。

学部の卒業論文では、ホメロスの『イリアス』における英雄と神の thumos(テューモス)をテーマとして研究しました。

――thumosとは、どのような概念なのでしょうか。

史さん 日本語では「気概」などと訳されることがありますが、古代ギリシアにおける人間理解、特に感情や心の働きに関係する重要な概念です。たとえば人が名誉を求めたり、他者から承認されたいと感じたりする働きと結びついている一方で、単なる個人的な感情にとどまらず、共同体の正義を守ろうとすることとも深く関係しています。

私がこの概念に関心を持った背景には、やはり国際関係を学んでいた頃から持っていた「正義とは何か」という問題意識があります。研究分野だけを見ると、国際関係から古代ギリシア文学へと大きく移動したように見えるかもしれませんが、自分自身のなかでは、関心の中心にあった問題はかなり一貫していたと思います。

西洋古典学から哲学へ――分野を変えたというより、問いをさらに追究する

――学部では西洋古典学を学び、その後、大学院では哲学研究室に進学しました。この変化には、どのような理由があったのでしょうか。

史さん 自分自身としては、研究テーマをまったく別のものに変えたという感覚はありません。ホメロスにおいて重要だったthumosという概念は、その後プラトンにも受け継がれているため、この概念が文学から哲学へとどのように継承され、そこでどのような意味を持つようになったのかという問題に関心を持つようになりました。そう考えると、このテーマは一方では古代文学に属する問題であると同時に、もう一方では古代哲学に属する問題でもあります。

学部では主としてホメロスの側からこの問題を研究したので、大学院では今度はプラトンの側から同じ問題をさらに掘り下げていくことになりました。その意味では、西洋古典学から哲学へと「研究対象を変更した」というより、一つの問題を追究していく過程で、研究の重心が自然に哲学へと移っていった、という表現の方が自分の実感に近いと思います。

――哲学研究室へ移ったことで、研究環境に大きな戸惑いはありませんでしたか。

史さん それほど大きな戸惑いはありませんでした。学部生の頃から哲学の授業にも参加していましたし、研究テーマそのものにもかなり連続性がありましたので、大学院で哲学研究室に所属することになっても、自分のなかでは比較的自然につながっていました。

哲学研究室に来てからは、古代哲学だけではなく近現代の哲学に触れる機会もありますので、より幅広い研究に接することができます。一方で、大学院では基本的に一人ひとりが自分の専門的な研究テーマを中心に研究を進めていくことになるため、自分の関心を維持しながら、それとは異なる時代や領域の研究から刺激を受けることができる環境だと思います。

西洋古典学と哲学では、「論文を書く」ということにも違いがある

――学部から大学院に進学したことで、研究方法そのものにも変化はありましたか。

史さん 特に強く感じたのは、論文の書き方の違いです。もちろんこれは私自身の経験にもとづく印象ですが、西洋古典学の場合には、原典の細かな表現や用法を丁寧に分析し、テキストそのもののなかから解釈を支える証拠を見いだしていくことが非常に重要になります。それに対して哲学の論文では、テキストを精密に読むことに加えて、自分がどのような哲学的主張を提示するのか、その主張が既存の研究とどのような関係にあるのか、また先行研究に対してどのような議論を提示できるのか、という点がより明確に求められるように感じています。

その意味で、哲学の論文を書くときには、単にテキストを解釈するというよりも、先行研究や他の研究者と「議論している」という感覚があります。ただし、古代哲学を研究する場合には、哲学的な議論だけを展開すればよいわけではなく、当然ながらギリシア語の原典を丁寧に読み、その解釈を文献的に裏づける必要がありますので、私自身は西洋古典学と哲学の双方で身につけた方法を組み合わせながら研究しているという感覚があります。

アイデアを思いつくことと、それを論証することは別の問題

――現在は博士前期課程2年で、修士論文を執筆しています。研究生活のなかで、特に難しいと感じるのはどのようなところでしょうか。

史さん 私の場合は、研究のアイデアそのものは比較的たくさん思いつく方で、「この箇所はこういう意味なのではないか」「この概念にはこういう関係があるのではないか」という仮説が突然浮かぶことがあります。ただ、研究をしていて改めて感じるのは、面白いアイデアを思いつくことと、そのアイデアを学術的に証明することはまったく別の問題だということです。

実際に原典を読み、関連する箇所を調べ、先行研究を確認してみると、自分が期待していた根拠が見つからないことがあります。自分では非常に面白いと思っていた仮説であっても、テキストによって十分に支えることができなければ、それをそのまま研究上の主張として提示することはできません。そのようなときが、研究をしていて最も苦しいと感じる瞬間の一つです。

――自分が考えた仮説を、ときには手放さなければならないということですね。

史さん そうですね。自分のアイデアに固執するのではなく、まずテキストのなかに本当に根拠があるのかを確認することが大切です。研究をしていれば、仮説がうまくいかないことや、最初の予想とは違う結論に至ることは何度もありますので、そのたびに焦ったり、自分の考えそのものを否定したりするのではなく、冷静に根拠を探し直し、研究を続けていくことが必要だと思っています。

ですから、大学院に入って学んだことの一つは、研究では「失敗しないこと」が重要なのではなく、むしろ仮説がうまくいかなかったときに、そこからどのように考え直し、次の問いへ進んでいくかが非常に重要だということです。

同じ分野を研究する仲間と議論できること

――研究は一人で文献を読む時間も長いと思いますが、その点で哲学研究室の環境をどのように感じていますか。

史さん もちろん、一人で本や論文を読み、考える時間は非常に長いのですが、それでも研究室のなかに同じ分野を研究している人がいることは、とても大きな意味を持っています。名古屋大学には現在、古代哲学を研究している学生が比較的多く、プラトンを研究している人もいれば、アリストテレスを研究している人もいるため、自分と近い問題関心を持った人と日常的に話をすることができます。

研究がうまく進まないときや、自分の解釈に自信が持てないときにも、同じような対象を研究している人たちと話し合うことができますし、新しい文献について情報交換をしたり、お互いの研究について意見を交わしたりすることもあります。研究そのものについて悩むことは当然ありますが、そうしたときにも互いに励まし合えるので、その意味では非常に恵まれた環境だと感じています。

――哲学というと、一人で本を読み続ける学問だというイメージを持つ人もいるかもしれません。

史さん 一人で考えることはもちろん不可欠ですが、自分の考えを他の人に話してみることで初めて気づくこともありますし、他の人がどのような問題を研究しているのかを知ること自体が刺激になります。ですから、個人で深く考える時間と、他の研究者や学生と議論する時間の両方が必要なのだと思います。今はその両方を経験しながら、楽しく研究を続けています。

大学院では、自分の研究を「外に出す」機会が増える

――修士課程では、研究室内での研究だけでなく、学会などでも積極的に発表していますね。

史さん はい。名古屋大学哲学会で発表したほか、西洋古典学会ではポスター発表を行い、中部哲学会でも研究発表をしました。また、海外の大学との交流会では、英語で自分の研究を発表する機会もあります。

名古屋大学哲学会の研究大会で、プラトン『国家』の詩人批判についてスライドを映して発表する史さん
名古屋大学哲学会での研究発表(2026年4月)

大学院に進んでから特に感じるのは、自分のなかだけで研究を進めるのではなく、研究の途中段階から他の人に自分の考えを提示し、質問や批判を受けながら内容を改善していく機会が増えるということです。自分では十分に整理できているつもりでも、発表して質問を受けてみると、実は説明が不足していた部分や、自分でも十分に考え切れていなかった論点が見えてくることがあります。その意味で、研究発表は成果を示すためだけではなく、自分の研究をさらに発展させるための重要な機会だと感じています。

オスロ大学への留学――異なる研究文化のなかで哲学を学ぶ

――2025年には、ノルウェーのオスロ大学にも留学しましたね。

史さん はい。2025年8月から12月まで、半年ほどオスロ大学に留学しました。

――実際に海外の大学で哲学を学んでみて、どのような違いを感じましたか。

史さん とても楽しい経験でしたし、日本とは授業の進め方がかなり違うということも実感しました。まず、一週間のあいだに読まなければならないテキストの量がかなり多く、学期末に提出する論文も非常に長いものでしたので、かなり集中的に勉強する必要がありました。

また、特に哲学の授業で印象的だったのは、学生が非常に積極的に発言していたことです。教員の講義を一方向的に聞くだけではなく、学生自身が疑問や反論をその場で提示し、他の学生もそれに応答するため、授業全体が一種の議論の場として進んでいきます。ときには弁論に近いような雰囲気になることもあり、日本でこれまで経験してきた授業とは異なる研究文化に触れることができたと思います。

――留学を経験したことで、その後の研究について考え方が変わった部分はありますか。

史さん あります。留学を通して、文献分析の視点が多様になり、授業で自分の意見を積極的に言う勇気も少し増えました。しかし、修士課程で留学したときには、自分自身がまだ十分な研究成果を持たない状態で海外へ行ったという感覚がありました。もちろん授業に参加して学ぶことはできましたし、留学自体から多くの刺激を受けましたが、現地の研究者や大学院生と本当の意味で研究上の交流をするためには、自分自身にも「私はこの問題についてこのように研究しています」と示せるものが必要だと感じました。

ですから、もし次に海外へ行くのであれば、まず名古屋大学で自分の研究をある程度進め、一定の成果を持った上で留学したいと思っています。そうすれば、単に現地で教えてもらうだけではなく、自分の研究を持ち込み、それについて研究者や大学院生と対等に議論することができるのではないかと考えています。

修士課程の先へ――博士後期課程でも研究を続ける

――修士課程修了後については、現在どのように考えていますか。

史さん 博士後期課程に進学し、現在の研究をさらに続ける予定です。将来的には、ドイツで研究することにも関心を持っています。thumosや、ホメロスにおける心や精神の概念については、特に20世紀以降のドイツ語圏で重要な研究が数多く蓄積されているため、そうした研究を読んでいると、いつか自分自身もその研究環境のなかで学んでみたいと思うようになります。

ただし、博士課程に進んですぐに海外へ行くというよりも、まずは名古屋大学で一、二年程度しっかりと研究を進め、自分自身の成果を形にしたいという気持ちが強いです。その上で海外に行き、自分の研究について現地の研究者や大学院生と議論することができれば、修士課程での留学とはまた違った経験になるのではないかと考えています。

「哲学を学んだら将来どうするのか」という不安について

――最後に、哲学研究室への進学や大学院への進学を検討している人に、メッセージをお願いします。

史さん 哲学を勉強している人のなかには、「哲学を学んで、その後は何をすればよいのだろう」「研究を続けても将来どうなるのだろう」と不安に感じる人が少なくないと思いますし、私自身も将来についてまったく不安がないわけではありません。周囲の大学院生とも、就職するのか、研究を続けるのか、自分はこの先も研究していけるのか、といった話をすることがあります。

ただ、まだ分からない将来について考えることばかりに時間を使ってしまうと、かえって目の前にある研究や、自分が今本当に取り組みたいことに集中できなくなってしまうのではないかと思っています。だから私は、将来について考えることは必要であるとしても、それと同時に、「今、自分が最もやりたいことは何か」ということを大切にしたいと思っています。自分が本当に興味を持っている問題に集中し、一つずつ取り組んでいけば、その過程で次に進むべき道も少しずつ見えてくるのではないでしょうか。私はそう考えながら、現在も哲学の研究を続けています。

――進路を最初から完全に決めた上で、哲学を始める必要はないということですね。

史さん そう思います。将来について考えること自体はもちろん重要ですが、まだ分からない将来をあらかじめすべて予測しようとして、現在本当にやりたいことを諦めてしまうのは少し違うのではないかと思います。まずは、自分が何を知りたいのか、どのような問いについて考え続けたいのかを大切にすること、その問いに真剣に向き合い続けることが、結果として次の道を開いていくのではないでしょうか。

インタビューを終えて

史さんの研究の歩みには、国際関係を学ぶなかで生じた「正義とは何か」という問いが一貫して流れており、その問いを追うなかで、ホメロス、西洋古典学、そしてプラトン哲学へと研究が展開してきました。

大学院での研究は、一人で文献を読むだけではなく、仲間との議論、学会発表、海外留学などを通じて、自分の問いをさまざまな角度から磨いていく営みでもあります。史さんの言葉からは、自分が本当に知りたい問いを大切にし、それを粘り強く追究していくことの意味が伝わってきます。

史さんによるオスロ留学体験記もありますので、興味のある方はこちら(PDF)からお読みください。